気象衛星「ひまわり」が消滅の危機
なんだかこのネタに関して唐突に記事が出てきたが、気象庁からのプレスリリースが出ているわけではないようなので、なにかとお金の話が多くなる(?)洞爺湖サミットにぶつけた記事だろうか?
気象衛星が消滅の危機にある理由は、これまで繰り返し取り上げてきたように、多額の費用を負担してくれるスポンサーが見つからないからだ。
現行2基の予算の7割を分担した国土交通省航空局が計画から外れることになったため、管理運用を含め1基400億円とされる予算の確保が気象庁だけでは難しいためだ。
また、気象庁が民間との相乗りを模索したが協力を得られなかったというのは、例の「静止気象衛星に関する懇談会」のことを指していると思われる。
打ち上げ費用は管理運用も含めて1基400億円。以前にも書いたが、これを安い金額とは言わない。ただし気象衛星は日本国民のほぼすべての人が恩恵を受ける事業である。だから例えばマイクロペイメントが実現するとすれば、日本国民が1人1日1円負担すればたった1年でこの費用はカバーできる。しかも衛星は5年間動くので、実は1人1日20銭の負担でよい。つまり気象衛星が打ち上げられないということは、日本国民は1人1日20銭も負担することができない、ということになる。
まあもちろん財政事情が厳しいとはいえ、日本政府はさすがに400億円を負担できないほど貧乏なわけではなく、要するにこれは優先順位の問題である。つまり、現在何か別のものに支出している400億円を削減して、それを気象衛星に投資するという決断ができる人が日本にいるのだろうか、というのが問題である。もしこの決断ができる人がいるとすれば、それは政治家ということになるだろう。果たして、これほど票に結びつかない決断ができる政治家が、この日本にいるのだろうか。。。
日本が気象衛星を打ち上げられなくなれば観測に空白が生じると記事にはあるが、実際に起こることはある意味日本にとってはもっと悲惨なシナリオではないかというのが私の予想である。というのも、これも前に書いたが、中国がすでに近くに気象衛星を打ち上げているからである。気象衛星がないと困るのはどこの国も同じ。「お願いだから、貧乏な日本の代わりに気象衛星を打ち上げてください!」というリクエストが中国に向かい、それを受けて中国が日本の地位を引き継いで、めでたしめでたし、となるのではないか。
せっかく洞爺湖サミットに合わせて(?)記事を出してくれたのだから、これを機会にこの問題にもっと人々の関心が集まり、究極的には国の予算配分の仕組みそのものが良い方向に向かってほしいものである。
(追記)
ブログ「松浦晋也のL/D」でも、この問題が取り上げられている。
この記事でも問題の解決には政治家の決断が必要であると述べられているが、同感である。
この問題を天気予報のための気象衛星打ち上げという問題に矮小化してしまうと「気象庁にそんな金はない」ということになるが、防災目的への利用や国際的なプレゼンスの維持までを含めたコストと考えれば、他のコストと比べてそれほど大きなコストであるとは思えない。ただしこのような大局的な問題の捉え方は、省庁の縦割り構造にはあまり馴染まないものであろう。いま、日本のあらゆる分野で予算配分(もっと言えば既得権益)の硬直性が問題になっているが、この問題もまさにその一つの現れに他ならない。
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