ありがとう!ゴーズ
これまで2年あまりの間、日本の気象衛星観測を支えてきた「ゴーズ9号」が、本日(7月14日)日本時間正午をもって、日本各地への観測データの配信をひっそりと終えた。
振り返ってみれば、数奇な人生(?)であった。
ゴーズ9号とはそもそも、1995年5月23日、アメリカの気象衛星として、フロリダのケープカナベラルから打ち上げられた衛星である。ところが最初から機械の調子が悪かったため、1998年7月27日には、早くも後継衛星のゴーズ10号と交代させられてしまった。そして待っていたのは、主役にもしものことがあった場合の代役として待機するという、地味で目だたない日々。主役としてスポットライトを浴びた期間は短かった。しかし実際に働いた期間が短かったために燃料が温存され、これが第二の人生につながったのだから、運命とはわからないものである。
一方、太平洋をはさんだ日本では気象衛星打ち上げ計画が誤算続きで、自前の衛星だけではもはや観測継続が絶望的な状況となっていた。そこで目をつけられたのが、これまで使えないヤツとして放っておかれたゴーズ9号である。アメリカ寄りの太平洋上空でブラブラ過ごしていた衛星を、なんとか日本が見える位置にまで移動させることによって、日本付近の観測に使うことはできないだろうか?というか、もうそのプランに賭けるしかない状況だった。かくしてゴーズ9号は、生まれ故郷から新しい任地へと、二度と戻ることのできない長い旅に出発したのだった。
とにかく長い旅だった。それまで西経105度にいた衛星が東経155度まで移動するというのだから、経度にして100度、距離にして7万キロにも達する長旅である。それまでに働きづめの衛星であれば、こんな長旅に耐えるだけの余力は残っていなかっただろうが、ゴーズ9号はそれまで何もせずにブラブラしていたので、まだ余力はずいぶんと残っていた。
数ヶ月かけてゆっくりと宇宙空間を移動したゴーズ9号は、日本が見える位置にまで無事に到着し、いよいよ登場への準備は整った。そして2003年5月22日、もはや満身創痍の限界に達していた「ひまわり5号」は、ゴーズ9号に任務を引き継いだ。これまでの5年間、人生の半分以上も代役に甘んじていたゴーズ9号に、ついに主役の舞台が回ってきたのだった。
それから2年あまり、オンボロ衛星などと揶揄されつつも、ゴーズ9号は与えられた任務を黙々とこなしていった。オンボロではあったが、みんなに頼られた。この衛星にもしものことがあれば、多くの人が困るのである。なんとか生きながらえてもらわなければならない。そんな願いを受けたゴーズ9号は、意外としぶとかった。画像はノイズだらけだったが、それでも致命的な故障は起きなかった。
しかし、そのゴーズ9号の人生にも、やがて終わりが近づいてきた。日本の気象衛星打ち上げプロジェクトは、当初の計画から5年以上も遅れた2005年、ついに後継衛星である「ひまわり6号」の稼動に成功したのである。「ひまわり」というピカピカの御曹司が登場してしまっては、もはや老体のゴーズ9号に用はない。こうしてゴーズ9号は、本命の後継者が無事に働き始めるまでのつなぎ役として、残り少ない人生を送ることとなった。
2005年6月28日、ひまわり6号観測開始。ついにゴーズ9号は主役の座を降りた。そして、2005年7月14日、ゴーズ9号はデータ配信を停止し、表舞台からも退くこととなった。ゴーズ9号が日本の気象衛星観測の表舞台に再登場する可能性は、もはや限りなく低くなった。
しかし、アメリカでは不遇の人生を送っていたゴーズ9号。それが異国の地で2年あまりにわたって主役を務めるなど、誰が予想しただろうか。ゴーズ9号にとってもこの第二の人生は誇らしい日々であったに違いない。
ありがとう! ゴーズ。
(追記)アメリカではゴーズ9号はまだ現役で活躍しているようである。上記の物語は、日本からみたゴーズ9号の物語ということで、お読みいただきたい。
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